建国記念の日
建国をしのび、国を愛する心を養う日
建国記念の日(けんこくきねんのひ)は、毎年2月11日に定められている国民の祝日です。祝日法における趣旨は「建国をしのび、国を愛する心を養う」こととされています。日本という国家が成り立った歴史に思いを馳せる日です。
「建国記念日」ではなく「建国記念"の"日」である理由
この祝日において最も特徴的なのは、名称に「の」が入っていることです。
世界各国の「建国記念日」(独立記念日など)は、アメリカの独立宣言の日(7月4日)や、フランスのパリ祭(7月14日)のように、歴史的に明確な建国や独立の出来事があった日付に設定されています。しかし、日本は歴史が古く、国家としていつ成立したかを明確に示す歴史的文書や出来事が特定できません。
2月11日という日付は、日本の神話・伝承をまとめた『日本書紀』において、初代天皇である神武天皇(じんむてんのう)が即位した日(辛酉年春正月庚辰朔、紀元前660年1月1日)を、明治期に太陽暦に換算して算出されたものです。神話に基づく日付であるため、史実として「この日に日本が建国された」と断定することは学術的に不可能です。
そのため、祝日制定の議論においては激しいイデオロギーの対立がありました。「史実ではない日を建国記念日とするのはおかしい」という野党や学者の反対と、「伝統的なこの日を建国を祝う日にすべき」という与党や保守派の意見が対立しました。妥協案として、史実としての建国日を定めるのではなく、「日本が建国されたという事実そのものを記念する日」という意味合いを込めて、「の」を挿入した「建国記念の日」という名称で落ち着きました。
戦前の「紀元節」からの復活
戦前、2月11日は「紀元節(きげんせつ)」と呼ばれる四大節(国の最も重要な4つの祝祭日)の一つでした。全国の学校で儀式が行われ、「紀元節の歌」が歌われるなど、国家神道と天皇中心の国家観を支える重要な日とされていました。
しかし、第二次世界大戦敗戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指令により、国家神道と軍国主義を排除する一環として紀元節は廃止されました。1948年に制定された祝日法にも、当初は2月11日は含まれていませんでした。
その後、日本の主権回復(1952年サンフランシスコ講和条約発効)に伴い、保守系政治家を中心に紀元節復活の動きが高まりました。法案の提出と廃案が何度も繰り返された末、1966年(昭和41年)に祝日法が改正され、翌1967年(昭和42年)から「建国記念の日」として制定(復活)されました。
文化的意義と過ごし方
建国記念の日には、全国の神社(特に神武天皇を祀る奈良県の橿原神宮など)で祭典が行われます。また、各地で奉祝パレードや建国を祝う集会が開催されます。
一方で、この祝日の由来が戦前の「紀元節」にあることや、皇国史観への回帰への懸念から、労働組合や左派系の市民団体による「建国記念の日反対集会」も毎年各地で開かれています。「祝う集会」と「反対する集会」が同日に開かれるという、日本の祝日の中でも特異な政治的・思想的背景を持つ日です。
2月11日に起こった歴史的事件・ニュース
- 紀元前660年(神武天皇元年)2月11日(旧暦1月1日): 『日本書紀』によれば、神武天皇が橿原宮(かしはらのみや)で初代天皇として即位したとされる日(日本の紀元)。
- 1889年(明治22年)2月11日: 大日本帝国憲法発布。 この日を紀元節に合わせて発布することで、天皇主権の憲法であることを強く印象付けました。同日、皇室典範も制定されました。
- 1990年(平成2年)2月11日: 南アフリカ共和国で、反アパルトヘイト運動の指導者ネルソン・マンデラが27年半に及ぶ投獄から釈放されました。
- 2006年(平成18年)2月11日: 表参道ヒルズ(東京・原宿)がオープン。かつての同潤会青山アパート跡地が再開発されました。
- 2011年(平成23年)2月11日: エジプト革命。民主化を求める大規模な反政府デモ(アラブの春)の結果、30年間独裁を続けてきたホスニー・ムバラク大統領が辞任しました。
このように、建国記念の日は単なる休日ではなく、日本の歴史教育、神話、そして国家とは何かについて深く考えさせられる日となっています。